芥川龍之介は著書侏儒の言葉の「人生」という項目で、
人生は狂人の主催に成ったオリンピック大会に似たものである。
と語る。
産まれれば、とにかく大きい競技場に似た人生の中に放り込まれる。誰も人生に対する歩み方など知るはずもなく、先人たちに習い、とにかく走り続け、競い続けなければならない。先人に習ったからといって、できるとも言えない。とにかく走り続けるのだ。
我々は人生と闘いながら、人生と闘うことを学ばねばならぬ。
以前から職場の同期の人が休みがちで、無断欠勤を繰り返していた。何か事情があるのか、たまに来たときの様子も辛そうである。
昨日とその前も無断欠勤で、今日帰り際にたまたま話を聞くことがあって、曰く体調不良で入院していたと。もうかなり限界に近く、辞めるかもしれないとも。なんかボロボロで見ていて気の毒である・・・。
皆何を思って働いているのか?そんなことを考えていたのだけど、最近休憩時間になると、みんな口を揃えて「しんどい、きつい」という声が聞こえてくるようになった。
仕事も走り続けなければならない。生活の為か、養うためか、無目的にか。
止まれない。止まれないでしょ?一日でも休むと「迷惑を掛けていないだろうか?」、「悪く言われないだろうか?」、「給料が減ってしまう」とか不安になるでしょう。合法的な、承認された休暇で精々といったところか。
ゴールのないマラソンについていける人。ギリギリ食らいついている人。遅れを取る人。ついていけずに挫折してしまう人。挫折して向かう先のない人。
そんなことを考えながら家への道を歩ていて、侏儒の言葉を思い出した。