一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

自分にはできそうにない仕事

7月頃より家の前で下水道の工事をしている。

その騒音たるや凄いもので、本は読めない音楽も聞こえない、インターホンにも気が付かないで迷惑していた。

でもベランダから工事の様子を眺めていると、この連日の暑さの中、長袖の作業着にヘルメットという出で立ち、交通整理をしている人なんかは直射日光ががんがん当たるわけですよ。温度計は36℃を指している!

いつしか「大変な作業だなぁ。皆熱中症とか大丈夫かな」とか、心の中で「いつもお疲れ様です!」とか考えるようになっていた。

結局彼らが一生懸命作業してくれるから、普段の生活があるのだ。

とても自分には務まりそうもない作業を眺めつつ、「迷惑だな」という気持ちがいつの間にか「畏敬の念」に変わっていた。

あらゆることが不安で仕方がない

特に寝る時にいろんな不安感が押し寄せてきて、寝付きにくくなってしまった。

就職どうしよう。就けたとして続けられるだろうか。人間関係に馴染めるだろうか。就労場所は何処になるのだろうか。働けたとしても貧しい納税者の道しかないんだよなぁ・・・。老後はどうなるんだろう。というか働けるのか。行く行くは親の呪縛を離れ、一人立ちしたいのだが、できるのだろうか。住む場所はアパートになるのだろうか。隣人にヤバい奴がいたら嫌なだなぁ。家賃はどれくらいかかる掛かるのだろうか。車の運転が嫌なのだが、買い物はどうしたらいいんだろう。病気したらどうしよう。一人暮らしに何とかこぎ着けたものの、仕事をクビになったらヤバいよなぁ。等々。

不安や心配事が次々に押し寄せてくる。理屈で言えば、いずれも「起きていないこと、起きるかどうかもわからない」ことなんですよね。

でも何故か自分にはずっとリアルに感じられるのである。過去これといって上手くいったことが無い所為かもしれない。

何事も悪く捉えてしまって動きようがない・・・。不思議なくらい悪い方向にしか考えられない。ちょっとくらい前向きなことを考えられてもいいじゃないですか。それこそ「今考えている事は現実にならないかもしれない」とかね。しかしどうにも無理なんです。

今一番切望するものは何かと聞かれたら「心の平穏」ですよ。

なんで皆生きていけるんだろうなぁ。

こういうやり方でしか抗議できない

言葉で抗議することを諦めた、弱者の歪んだ抗議・・・

先日の、(それ以前からでもあるけど)親からの嫌味がずっと引っかかって、ミニ四駆、プラモ、フィギィア等怒りに任せて全部捨ててやった。「こんな物を買っちまったから、あんなことを言われんだ!」「これで満足か!」と。

買って早々こんなことになるとは夢にも思わなんだ・・・。

正直言うと家に立ち寄ると連絡があったので、片づけようと思ったんだけど、ひょっとしたら「案外何も言われないかもしれない。そうなれば、安心できるじゃないか」と試してみた。結果はこの有様です・・・。

もう清々しましたよ。意外な程何も感じない。

結局上手くいかない、認めてもらえない鬱屈した人生の渇きを誤魔化す物でしかなかったのか・・・。「必要な物」ではなかったと。

物欲なんて言うのは、「ハンバーグに付いてくるコーン。牛丼に付いてくる紅ショウガ」なんですよ。そんなものでは腹は満たせない。他人は認めてくれないのですよ。

 

ただ悲しいのは「こういうやり方でしか抗議できない」情けなさである。

子供の頃親に不満があって喧嘩しても、こっちは「親!」お前は「子供!」とまともに取り合ってもらえず、怒りに任せて物を破壊したことがないだろうか?アレである。

何を言っても無駄なのだ。反論するやいなや、自分が働いていないことを一点集中で攻撃してくるのだから。そこを突けば、何も言い返せないのを知って言うのだから。こっちの方がずっと苦労しているんだ!と。

「無職の分際で趣味を楽しむな」と言ったって、そのお金は全部正式な手段で手に入れたお金じゃないですか。

小遣いだったり、件の給付金だったり、何かの手伝いの手間賃だったり

金をくれと言ったことなんて無いし、拾った金でも、間違っても犯罪ではないのです。であれば、その使い道は自由なはず。

特に趣味の物で部屋を圧迫してるわけでもない。(ミニ四駆のコースは圧迫しますが、すぐに片づけられる物なので、多少は・・・)それなら妹がいた時の方がよっぽど酷かったのだ。

趣味の否定は人格の否定に等しいと、そう思いませんかね。

ダメージが大きいですわ・・・。

 

なんだろう復讐か?復讐なのか?マウンティングなのか?

 

抑圧されても耐えることはできる、でも不満やストレスが消え去るわけではなく、ずっと心に燻り続けるのである。

リストカットなんかも「正しく怒れない、怒りを受け止めてもらえない」ことに対するストレスの噴出なのだろうか・・・。

苦労人は人に優しい?

先に書いた「親ハラスメント」で一つ思い出したことがあった。

遡ること3、4年前、ちょうど今通っている(といってもコロナで再開がいつになるのかわかりませんが)病院の就労支援デイケアの正にその部屋で、「発達障害者向けのコミュニケーション能力トレーニング」のデイケアが行われていて、主治医の紹介で自分も参加していた。

 

結果はあまりに苦痛過ぎて、嫌な思い出を量産し過ぎ、初級4回で挫折してしまいました。その時のことは過去に嫌という程書いたのでここでは割愛。

 

あの時の参加者の中の二人にいろいろ苦労話を語ってくれた人がいて、最後に「本当に家族の支えがあってくれて・・・」と締めた人たちがいた。

その時に思ったのが

いや、お宅らはいいじゃないか・・・。苦労があっても、妻や夫が理解があって支えてくれるのだし、(伴侶の勧めでここに来たとも言っていた)職にも就いて、それが続けられているのだから。

一人は記憶力が良すぎて、学校の成績が非常に優秀だった半面、嫌な記憶が残り続け忘れられないと語っていた。

いやいや、いや!!

俺なんか学校の勉強は全くついていけず、そのせいで随分嫌な目にあわされた!

当時のことは今でも思い出すし、こびりついて消えてくれないのだ!

成績が優秀ってちくしょう!!

更には親に会う度に自尊心を傷つけられ、既婚者の弟からは上から目線の説教を受け揉めて、仕事は苦痛過ぎて続けられない、就労支援や集まりに顔を出すも馴染めない・・・行き場所も無い、どうすればいいのかもわからない、心の内を打ち明けられる相手もいない。否定する人で溢れているが、話の一つ聞いてくれる人の一人もいない。やれやれ・・・。

こんなことを考えていたし、今も変わらない。

あの人たちがどんな苦労をしてきたのか、今もそうなのか、どんな気持ちなのか、自分と比べてどうなのか、勿論知る由は無い。

こういう感情は無い方がいいだろうし、自分が悩みを打ち明けてこんな反応が返ってきたら、確実に嫌な思いをするし、恨むかもしれない。だけど・・・。

 

成功者や救われつつある人はそのことによって益々人間的に豊かになるだろうし、成功者や救われつつある人は自分を認めてくれる人がいる中、謙虚に振る舞うのは容易いことです。そして自分のような落ちこぼれは益々陰湿な人間になっていくことでしょう。

「苦労した人は苦労したからこそ、人に思いやりや優しさの持てる「痛みを知る」人間になる」

そうは思えません。

せめてそれを自覚していたい・・・。

 

 

親ハラスメント

親によるハラスメントについて

何だか最近母の言動が差別的になってきた気がする。

部屋にあったミニ四駆のコースを見ては「うわぁ、なんだこれ!子供か・・・」

祖母の病院通いに付き添う時にゲームをやるんだけど「いい歳してゲームか、小学生みたいだ」

「なんだかあんたって、頭は小学生みたいなんだね」とか。

「別にいいじゃないか、趣味を楽しむくらい」と反論すると「趣味っていうのは、金を稼いで、その余裕でやるものだ。金を稼いでからものを言え!」ときたもんだ。

会う度に「仕事はどうするんだ?」「あんたなんか人生終わりだ」「いつまでも親がいると思うな」「生活保護だ、生活保護!」等々・・・。

そう言われるだけの原因があることは自覚しているし、反論したところで醜いいがみ合いに発展することは過去の例をみても明らかなので黙っている。とにかく耐える。(これは復讐なのだろうか・・・)

 

が、ストレスである。ストレスを感じると頭が痛くなるというか、ぐったりしませんかね・・・。

世の中気にしなければいい。嫌なら見るな、関わるなとのたまう連中がいるけど、何も考えていない能天気な人の考えだよ。

 

 

どうにかしなければって、「どう」なんとかすればいいんだよと。

 

 

 

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