一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

画面がえらいことに・・・

夕食をとってから部屋に戻ったら、画面がこんなことに・・・。これは本体側の故障?

 

その後の調べでやはり内部的な問題で修理に出すしかないみたいである。

画面に関しては外部モニターでなんとかなったけど、机が狭くてパソコンまでは置けない。そこで隣にあるラックに乗せているのだけど、これではキーボード操作が凄くやりづらい。

ワイヤレスキーボードがあるとちょうどいい感じになりそうだけど、毎月4000円の小遣い制の身であり、毎週あるデイケア代と保険料でカツカツで、とても捻出できそうにない。

Amazon欲しいものリストに登録したので、救いの手が差し伸べられることを祈ることにしよう・・・。

自己解決しました。

慣れない場所に一人は心細い

今日は通院先でのデイケアの日。

午前中は就労支援、ソーシャルスキルレーニングで午後からは羊毛フェルトの二回目。

まだデイケアの流れがよくわかっていなくて、午後のデイケアはそれぞれの分野にわかれて教室のような感じでやるのかと思ったら、「創作デイケア」と称して参加者が部屋に集まって各々塗り絵やパズル、イラスト、プラモデル、自分がやっている羊毛フェルトなどを一人で黙々と勤しむと、そういう感じであった。

それ自体はいいのだけど、慣れない場所、知らない人々、スタッフに囲まれて一人というのは女々しいようだけど、なんだか心細い・・・。

なんとなく空気的に誰かと一緒におしゃべりしながら作業というのもやりづらそうな感じ。ただ時折スタッフとのおしゃべりもあるから私語厳禁というわけでもないのだろうし、静かなのは好きだけど静かすぎる。例えるなら図書館みたいな?

そんな時に先日初めて作業していた時にいろんな人が話しかけてきたことがあって、その内の一人の女性がやってきて「今日もやってるんだ。この前のインコはどうしたの?」と声を掛けてきてくれた。

突然話しかけてごめんね!なんて言うけど、とんでもない!心細かったし、気にかけてくれている?そんな気がして嬉しかった。まあ、たまたまでしょが。

これからは好意的に接してくれる人に一層感謝と敬意を持とう!と思った瞬間だった。相手がいなければ、どんなに会話が上手くても成立しないからね。

ただ、誰でもというわけにもいかない。サポステでの出来事のように、どうしても苦手な人、関わりたくない人はやっぱりいるもんです。

 

 

大体自分が考えてきた世界があそこにはある

今日は若者サポートステーションで内職の日。軽作業を通じて働く練習や意識を作る、日当は当然でない。そんな感じのもの凄いやつです。内容としては前回と同じチラシ折りで、役割分担を各自で話し合って決める変則的なこともあった。

 

で、例のごとくそんなことより奥から聞こえてくる相談の話が気になるいつものあれ。雑居ビルの一室で部屋が狭く、嫌でも聞こえてくる。

今日の話は、「短時間のパートで働きだしたけど、やっぱりつらくて心が・・・」なんて人が二人もいた。

時給に不満があって・・・。人間関係が・・・。あんなん人間のやる仕事じゃない。など面白そうな(失礼)話が聞こえてくる。やっぱりあそこに通う人たちに話を聴いていくといろいろな考え、体験が出てきそうで好奇心をそそられる。

自分の身近にも面談や見学や体験就労まではいけるのだけど、働きだすのは・・・という雰囲気の人が多いように感じる。自分もその一人だし、実際働き出しても輝かしい未来があるかというと、基本ないと思う。

そして働いてもつらくなってしまう。当然だ。自分が強くなったわけでも、有能になったわけでも、引き受ける根拠を得たわけでもないのだから。

 

焦りや不安や周りに促されて「なんとなく」働いても、運でも良くないとまたすぐに挫折する。

 

ほんの時たま、お世話になったから顔を見せに来ましたという元利用者を見かけるけど、ああなれるのはほんのごく一部なのだろう。やっぱり雰囲気が違うし。

 

それにしても面談を聴いていると、「ああしなさい、こうしなさい、それじゃあだめ、これじゃあだめ、自分の考えを言いなさい、どうすればいいか考えなさい」みたいな意見を被せるような感じで、喋り方もどことなくを感じるようで相談しててつらくならないかね。

もちろん相談支援事業として仕方のない面はあるだろうし、口当たりの良いことばかりでは最後に困るのは本人である。

だけど、もうどちらも嫌になって再びひきこもる人がひょっとしているのでは?とそんな想像をしてしまういつもの面談風景であるし、自分はそんなことを繰り返してきた。だからあれ以来、結果が読めるようで面談はしていない。

初期の頃にいた多くの人を最近全く見ないが、無事に卒業したのだろうか・・・。

コミュニケーション備忘録

昨日の出来事からコミュニケーションの「悪手」を考えてみる。良い例より悪い例の方が参考になることが多い。話題ばかりに気を取られていたけど、それ以前の問題があったことに気づかされた。

 

1.名前を憶えて、きちんと名前で呼んであげる。

2.長話せず、小さくまとめてリズムよく。

3.相手の声色や表情をよく見ておき、状況判断に努める

4.相手の人を「この人」とか言わない。絶対にやるな!名前がわからないなら聞いた方がいい。

5.意見を被せたり、余計な助言はしないこと。

 

話題ばかりに気を取られず、まずは基本的な姿勢を正さなければ次は無いと思う・・・。

 

 

名前は凄く重要

今日も若者サポートステーション。怒りのコントロールセミナーに参加してきました。

いつも一番乗りで行くので目立つせいか「君は常連だなぁ」と職員から声をかけられた。これは自分という存在が印象づく良い兆候か?

 

先日少しKさんと話ができて、いろいろ聴きたいこともあったので今日は来るだろうか?と期待していたら来てはくれたんだけど、席が離れてしまった。というか、自分の隣にすでに座った人がいたので予定が・・・。なんでこう上手くいかない!

Kさんが先に帰る際に「Kさんお疲れ様~」と手を振るくらいはなんとかできたから、良しとしよう。

で、正面にIさんが来たので、Iさんといろいろ喋っていたらまわりに広まって最終的に4人で雑談という感じになった。親のことや就職のことなどね。おおこれは凄い!集団での会話は苦手というかほとんどできないのだけど、皆に話題を振ってみて答えてもらえたし、あれはあれで良かったと思う。

人の話を聴いているといろんな考えや経験が垣間見える。親との関係で悩んでいたり、社会復帰に踏み出せなかったり、孤独であったり、サポステに通うことさえ難色を示されたり、肯定してもらえなかったり、人は皆自分の話を聴いてもらいたい。などなど。

単なる「利用者の一人」では決してわからなかったことだろう。

以前「傷の舐め合い」と書いたけど、それよりかは世界観の共有というか、理解できないけど理解に努めてみるというか、そんな印象を受けた。別に舐め合いでもいいと思うけどね。

それ以外にも今日話した利用者さんの一人がもの凄く話が長いというか、小さくまとめてリズム良くキャッチボールというのが苦手な人なのか、ばーっ!と喋って、はい、終わり!という感じで聴いていても「お、おう・・・」という印象しか持てなくて、会話の在り方も考えさせられる。あれでは人は離れていくよ・・・。

 

 

後はもう一つ印象的だったのが「名前の重要性」

もちろん自分は心得ているので、在職時代から初っ端からメモを取って憶えるように努め、挨拶や話しかける時には必ず名前を付けるようにしている。

礼儀としては勿論だし、名前を憶えてくれると重要な存在なのかな?と印象づくものでしょう。

それで今日は上記の人から「この人」って呼ばれて、「いやいや、最初に自己紹介をしたし、なにより名札を首に掛けているんだから名前で呼んでよ・・・。俺はあなたの名前を初対面で憶えたぞ!それに俺たち何度か顔を合わせているんだけどなぁ」と、もやもやした気持ちになった。単なる利用者の一人に過ぎないのか・・・。

 

ああ!名前ってやっぱりすごい重要だわ!

ですから、皆さんも誰かと仲良くなりたかったら名前を意識してみてください。

 

 

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