「これでも結婚しないというのか!?」みたいな記事があって、「へぇ!何だかんだ言っても、やっぱり何かと制度的に有利なのかい?ちょっと詳しく知りたいなぁ」と開いてみたら、なんの事はない。嫁が可愛いです的な、単なる自慢話をツイッターから転載しただけだった。
コメントを見ると中傷というわけでもないけど、若干僻みっぽいコメントがちらほら。
人間良く見られたいものですから、建て前であれば「僻み、かっこ悪い」とか皆さん言うでしょうけれど、じゃあ本音がどうかと言われれば、そりゃ僻みたくもなるでしょうよ。
特に人生上手くいっておらず、耐えがたきを耐え、忍び難きを忍びみたいな状況で、偶然そんなのを見かけてしまった暁には「クソが!」くらい言いたくなるのが人情というものです。人間言われるほど綺麗でいられるでしょうか・・・。
あるお坊さん曰く、自慢話は最も浅はかな行為だということです。
やっぱり自分が楽しいから、幸せだから、それを見る、聞く人もまた「幸せを感じる」はずなんだというのは愚かな考えのだと痛感させられます。世の中そんな単純じゃないと。
投稿した瞬間全世界に繋がり、いつ、誰が見て、どのように感じるかなんてわかろうはずがありません。
くそ!とか、なんだよ自慢かよ・・・!
みたいに感じる人に贈ることがあるとすれば「もう放っておきましょう」
自分とは違う世界の住人なんだと思いましょうと。(考え方によっては本当にそうかもしれない)
自分の幸せは自分の価値基準を元にしか作れず、他人の真似事をしても懐疑を感じたり、失敗する可能性の方が高いものです。
人生は絶えず偶然と必然に翻弄され続けられます。