今までいろんな人から、助言なり苦言なり、ああしろこうしろということがあったんだと思う。
態度や失敗に対する注意はともかくとして、その中で「本当に言われて救われた」と思えたことがどれくらいあったでしょうか?大半は必要無かったのではないか。
あなたもそうではありませんか?
しかし、記憶にある中では、誰一人として「発言の責任を取る」ことはなかったなと。
直近だと中級の訓練に行けと言う親やメンバーに対し、ただただ苦痛で、その癖得られるものが無い。毒にも薬にもならないと拒否する自分。
「行く事に意味がある、行けば何とかなる」的な事を言われたが、行ってみてやっぱり苦痛なだけで何も無かった時、その人達は絶対に発言の責任なんかとらないであろうと言うこと。
結局自分の責任は自分で取るしかないんだったら、一々周りに流されず自分の感性に従って歩みを進めるしかないよね。