大成しなくてもいいから、仕事量を減らしてその分余暇を充実させる「緩い生き方」が徐々に増えてきた気がしなくもない。
とにかく長時間労働に絶望を感じるので、自分もそうありたい。
しかし「緩く」とは言え、その実運や人脈やスキルや機会などを併せ持った、一部の人にしか出来ない極めて高度な生き方のように思えてきた。
巷でいろんな情報が溢れているが、さあ実践しようとして実現できる人なんて殆どいないんじゃないだろうか。
一番難しいのが周りの理解じゃないかと思う。理解が得られないと助けや協力や機会や情報が得られづらくなる。
それに世の中生きているだけで、とにかく金が掛かる。
年金や保険料をちびちび収めつつ、これは結構深刻なレベルでの負担だと感じている。
今はいいけど、家賃とか高熱費とか食費とか諸々も当然圧迫してくるし、連中は待ってはくれないのである。
年齢を重ねると、一層言いようのない不安と焦りを感じることだろう。
果たしてどこに緩く生きる余裕があるのか。
緩く生きれる能力に長けた者にだけ実現可能なのではないか。
彼らはそんな高みから見下ろし「緩く生きるのもいいもんだ」とのたまっているだけではないのか。
ああいうのを見て「腹立たしい」と思う人の気持ちもわからなくもない。
やろうと思って出来る事ではないし、いざのその責任を負うことになったらどうなるかもわからない。
仕事が上手くできない、世渡りが上手くできないような人こそ、会社に属するべきなんだろうけれど、昨今の状況ではもう面倒を見ていく体力が無いのかもしれない。
いろんな所で、いろんな形で金なり時間なり体力なり健康なり、じわじわ吸い取られ、なんか追い詰められるようにできているような・・・そんな感じがしませんか。
人間悩みだすと、今まで見ようとしてこなかった、覆い隠していた物が姿を現してくるような気がする。
人生が上手くいっていたら、まず考えないだろう?
元より意味なんてないから、問い続けるんだよ。
あれ?自分の人生ってなんなんだろう?何のために生きているんだろう?