一人舞台

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

生きているだけで

とにかく金が掛かる。国保の支払いと免除の申請に行ってきたんだけど、保険の相談窓口に比べて、収納課の雰囲気が悪く感じられるのは気のせいだろうか・・・。

向こうと比べて職員の対応も今一つだし、上手く言えないんだけど、なんか雰囲気が暗いというか、殺伐とした感じがするんだよ。あそこはできれば避けて通りたいね。

 

昨日発達障害を持っている27歳の人が天職を見つけたとかいう記事を見ていて、27歳同じ歳かぁ・・・なんて思いつつ、しかしああいうのを見ていて皆元気付けられるものなんだろうかとも思った。

だってその人と自分は生まれも育ちも感受性や周りの環境も何もかもが違うわけじゃないですか。

学校を首席で卒業したとか、プログラミングにかけては高い能力を発揮できるとか言われても別の世界の話にしか聞こえないよ。

つまり、欠点を補って余りあるほどの才能があるわけですよ。理解さえ得られれば、表現でき活躍できる。

一方自分はというと、集中力と不注意がどうにもできず、怒られてばかりで特に才能もなさそうだ。ついでに信用も無くなっていく。

 

一部のレアケースの話を聞いていても「はぁ、そうですか・・・」みたいな気持ちにしかならないし、そういう人がどうこうより、問題は自分はどうするのか?何ができるのか?ってことだよね。聞いたところでそうなる保証なんてどこにも無いんだから。

 

時々思う。今まで何をやっても大した成果が得られなかったけど、環境が合っていれば、或いは理解が得られていたら(しかし理解とはなんだろうか)また違った結果になったんだろうかと。

沢山稼いで、沢山消費する人が偉く尊いのだろうか

 

最近発達障害がどうのこうのと話題に挙がる事が多いけど、昔からそういう人は当然いたわけで、よくいう「変わった奴」みたいな感じで、しかし何だかんだやっていけていたわけでしょう。うちの叔父を見ていてもその典型であろう・・・。

それが急に?話題になるということは昔と比べて受け入れられる場所や余裕が失われているってことなんだろうか。

 

なんかこう生きづらくないかい?

なんにせよ、冬の寒さが一層身に染みる半日だった。

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