発達障害やカサンドラ症候群のことを学ぶにつれ、これは自分自身生きづらいだけではなく、周りさえも巻き込む厄災のような存在になりかねないと感じる。周囲の理解や助けがないのであれば尚更であるし、やるせないのは誰が悪いわけでもないから本当に心苦しいことだろう。
自分は一応ADHDの診断が下りたし、周囲からは全然普通に見えると言われ、わかってもらえないやるせなさがある反面、「大体普通である」という希望もある。
自分のポンコツっぷりはおおよそ仕事において集中している。
最後の希望である対人関係、コミュニケーション能力に問題はないということでしょう?多分・・・そうであってほしい。
発達障害だと福祉や支援を受けられるけど、まだまだ理解の貧しい部分がある。仕事は合理的配慮でなんとかできたとしても、人間関係において受け入れられるのかは、また別問題であるような印象がある。夫婦関係だと特に。
無能だと居場所がないというか、バカにされる人生を歩まねばならない。ただ、いっそ開き直って愛想良くして、言われたことはやると、愛され無能になれるかも。上司の怒りの矛先がその人に向かいがちなるから、なんとなくいてほしい人というか。
そしてもっとも救われないのは、そのどちらとも言えないグレーゾーン。というより、有能ではなく、といって発達障害の診断が下りず、開き直って諦めることも受け入れることもできない人々。
さて、自分はどこからが発達障害で、どこまでが無能で、どう世渡りしていけばいいのだろうか。もう価値ある仕事はできそうにないから、愛され無能ポジションに行きたいけど、そんな器用なことができるだろうか。
無理なく続けられる仕事。親からの自立。健康的な人間関係。課題は多い・・・。