某サイトでいろいろ投稿して遊んでいるわけですが、少ならからずアンチコメント(という方が伝わりやすいのかな)が来るわけです。
覚えている中では、同じようなやつがもう3人目かな。
そのコメントも「つまらん」とか「気に入らない」とか「だからやめろ」みたいな悪口雑言が全てです。
批判されることを一概には否定したくないので「どこが、どういう具合につまらないから、こうしたらどうか?」みたいな話であれば、時間を使って考えてくれているわけですから、聞く気持ちはあるわけですよ。
ここにはその価値があり、自分を見直す切っ掛けになりえる。
そしてなるべく他人を排斥したくはない。理解されない、伝わらない苦しみは特に大きいと思うから。
しかしいくらなんでも、子供じみた悪口雑言に付き合えるほど寛容ではない。
いつの日か、珍しくまともなコメントをしてきたので「悪口雑言はやめたのか?(そうであるなら、自分もまともに関わりたい)」と聞いたら「は?違うし。お望みとあらば罵ってやろうか?」ときたもんだ。
何なんだろう、この子供じみたやつは・・・心底がっかりした。ひょっとして話せば、聞けばなんとかなるのではないだろうか?この人はこの人なりに何か思惑があるのではないだろうか?なんていう期待をかけたことが愚かだった。おめでたかった。
人は自分の思い通りになんてならない!!
悪口雑言を受けて、何か学ぶべきことはあるのでしょうか?まあそうですねぇ、受けることで相手の優越感を満たしてやることはできるかもしれませんね。
ともかく、なんかこういう連中はまるでシスの暗黒卿のようだ。正面切って立ち向かっても、ずっと平行線をたどり続け、いつしか自分も相手の様になってしまうという・・・。深く関わるとダークサイドに堕ちる・・・。
やはり相手にしない。無視する。切り捨てるのが最善なんでしょうかね?
余談ですが、「多少」嫌な相手でも切り捨てるべきではないかもしれないと思う背景には、誰からも相手にされないのはとてつもなく辛いだろうということと、人は批判からしか学ぶことはできないだろうという考えと、自分が高校卒業後、新入社員として働いていた時に同期が4人いたんですよ。
その内の1人がいつも自分の事をいじってきて不愉快な思いをしていた。
「お前がそういう態度を取るのなら、こっちだって礼節なんか考えてやらん!」といった感じで接していた。
結果、そいつが一番話しやすい相手になったのはなんとも皮肉な話である。こういう経験があるからかもしれない。