もう何度も書いてきたけど、休日に大型量販店なんかに行くと家族連れが多いわけですよ。
単純に人混みが嫌というのもあるし、ああいう価値観というか、世界というか、あんな風にはなれないなぁ、なりたいわけでもないなぁと思いつつ、あれが年相応の立場というか責任感というか、目指すべきというか「成熟した人間のあるべき姿」という感じがして、そんなことを考えていたら柱に設置してあった鏡に映る自分の姿が酷く未熟で子供じみて見えて、すごく嫌な気分になった。
それが嫌なら努力して成長しなければならないし、そうでなければ「大したことのない自分を引き受けていく」のかのどちらかなんですよね。
無能な上に自己愛の強い自分はどちらも難しい。他人が!他人が!と言いますが、遥かに自分の問題なんですよ。他人はあくまでも相対的なもの。でもそこに囚われる。これが生きづらさの正体なのか?
他人というのは鏡のようだと思うことがあって、愛想良く接すれば相手もそうなるだろうし、無愛想に接すれば同じことでしょう。
自分がどんな存在なのか、相対化して映す鏡が他人なんだと思います。
だから、同じような人の間で群れる。立場や価値観が違うとストレスであるばかりか、辛くなってくる。集団を否定しては自分というものがわからなくなる。狂ってくる。
そうなったら属する集団を見つけるなり、変えていった方がいいでしょう。難しいけどね。
自分は家にいるのが、家族の一員として接する、というかそういう自分を引き受けていくのが嫌で若者サポートステーションで作れないかと考えています。
家族でも、息子でも、兄でもないし、大体似たような属性の人が集まりますから、気楽なものです。