親と会えば、仕事の話が出てくるわけですよ。出さないわけにはいかない。しないわけにはいかないと。
出るや否や「うわぁぁ・・・!」ってなって、凄く嫌な気分になる。質問に対する答えを持ち合わせていないし、また出てくるのも仕方がないことがわかるからだ。
親が嫌な反面、原因を作り出しているのは自分であるから、複雑な気持ちの行き場がない。
なんで働くこと、もう少し広く見て就職活動することがこうも嫌なのだろうか?
今までの「事故」とも言える苦い経験のせいかと思っていたし、それもあるだろうけど、一番は「環境の変化」これが最も嫌なのではないだろうかと思えてきた。
今は特別楽しいことも、素晴らしい体験や成長体験、良い人間関係や仲間は無く孤独であるが、一方将来の不安以外ストレスも無い生活ですよ。
それが働きだすとなると一変するわけです。
苦痛なばかりで慣れない仕事。朝は早く起きて夜遅く帰る生活。長時間の拘束。会社に付けば一日中仕事に集中し続けなければならない。気の知れない人間関係。家と会社の往復で疲れ果てる毎日。次第にただでさえ問題だらけの自分のパフォーマンスが更に落ち、「使えない人間」と判定され、仕事を辞めるというエンディングにたどり着く・・・。
どこの世界にこんな環境の変化を望む人がいるというのか。切れそうなつり橋を渡る人がいるのか。戦場に舞い戻りたい人がいるのか。
これこそが最も恐れていることかもしれないし、今まで正にこうだったのだ。
人間例え自分が辛い状況下に置かれていても、先の見えない変化よりは「安定」「現状維持」を求めるじゃないですか。
だから、環境を変えるその先がとりあえず安全だという確証を得なければならない。
しかしそのためには飛び込んでみる必要があり、その全ては自己責任とされる。つまりは運ゲーである。
よって世の「引きこもり脱出エピソード」を安易に信用してはいかんと、自分は思うのです。