一人舞台

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

過去の自分であり、これからの自分でもある

今日若者サポートステーションに行った時に、奥の相談を聞いていたら「働き出したけど、つらくて心が折れそう」というような話があった。

というより最近は「働き出したけど、やっぱつれぇ・・・」という話が多くなったような。

それ以外だと「働き出すにあたりの不安」だろうか。まあ、上手くいっていたらサポステには来ませんわな。

つらさの内訳としては

仕事についていけない。

怒られてばかりでつらい。

人間関係、他者とのコミュニケーション。

長時間労働

やりがいを見出せない。

こんなところか。

これは過去の自分であり、これからの自分でもあるように思う。

意を決して働き出したからと言って、輝かしい未来があるわけではない、現実そんなに甘くないことを痛感させられる・・・。問題は働き出してからなんだよ。

 

結局さ、「自分なりの就労動機、困難を引き受ける目的意識」が無いからこうなるんでしょ。多くは家族のためになるのだろうか。

周りに何か言われてとか、漠然とした不安や焦りがあってとか、親からの圧力とか、そもそも嫌なことを嫌々やっているだけなので、意識も低く簡単に折れる。これが逃げ癖の正体では?

事が劣悪な労働環境やパワハラレベルなら、然るべき所に相談だけど、そうでないなら動機を見出すことが解決や安定した就労になるのでは?何故働くのか?何故つらいことを引き受けるのか?なんのため?これを他人に説明できて、納得させられるのであれば、心が折れるまではいかないと思うし、困難にも立ち向かえるのでは?と思う。相談者の動機を一度訊いてみたいところである。

心を筋肉のごとく鍛えられればいいけど、そんなに人間強くないと思う。

だから、しなってもいいから折れないようにしなければならない。自分にとってのそれが根拠や動機であり、それを人間関係の刺激の中から作っていけないかと行動しているけど、掴めそうで掴めなくて、上手くいかない。切ないですわ・・・。

心理士さんは「人のためなんてどう?」と言って、それいいじゃない!と思うも、人って誰だっていう・・・。

 

 

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