仕事は比較によって「自分の定義」が残酷にも決まる場所の一つ
過去の仕事のことを思い出すと(思い出したくはないのだけど)本当に、本当に嫌な気持ちになる。上手くいった思い出が一つも無い。
どうしてあんな行動に出てしまったのか、やってしまったのか、勘違いしたのか、話したのか、挙げればキリがない。後悔したところでどうしようもないのだ。
いっそ人のせい、社会のせいにして居直れれば楽である。だけどどれだけ考えても自分に問題があったことは疑いようがないし、居直ったところで何も変わらない。だからこんなに苦しいのだろう。
自転車屋でアルバイトをしていた時に、同年代の正社員の青年がいた。
仕事は自分よりもずっとできるし、車を持って運転もできるし、ついでに顔だちも良く、服のセンスも洒落ている。休みの日に店に彼女を連れてくることもあった。
店長に言われたのが「所直彼の方がいろんな面で上だと思うでしょう?君も正社員を目指すなら、あれくらいできないとダメだよ」と言われたことは忘れることができない。逆立ちしたってああはなれんよ。
彼との仕事を通じた比較という関係性によって、自分の定義が決まる。
なんか、上手く言葉にできないけど、残酷な程比較というか、評価というかそういう世界に投げ込まれてしまったとそんな感じが致しました。
自分に会社に行って働けと言うのは、そういうドス黒い重荷を背負っていけと言われるに等しいのである。
これこそ「働くのが嫌な、一番の理由」かもしれない。今の所はね・・・。
ひきこもりの多くが「人が怖い」と言うけど、「比較」を恐れている。違うかい?