一人舞台

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

積極的にひきこもる

引っ越しのこともあって家具屋に親と行ってきたのだけど、祝日ということもあってか、恋人同士や家族連れが多い。

人の多さがストレスやら、自分を認めてくれる人が身近にいることが羨ましいやら、こんなん真っ当に生きていれば普通だぞ?みたいな空気があるようで、神経が磨り減る・・・。

まあ、それは自分の世の解釈の仕方というか、向こうは自分のことなど知らないし、何とも思っていないのだけど、自意識とはこれまで歩んだ自分の人生なので、変えるのはたやすいことではない。

 

家に着いたのが18時だったので、1時間半散歩に出る。暗い夜道を一人で歩いていると随分落ち着く。ああいう世界はやっぱり自分には合わないなぁと、つくづく思う。

ひょっとしたらひきこもりは積極的行動なのかもしれない。

世間が目指すべきという、価値があるという明るい世界がどうにも合わない。精神がざらつく。しかし、それ以外の世界は無さそうだ。だから人々や世間を遮断して、自分の世界を作りそこにいることにすると。

そうだとしたら、そんな人を社会復帰だぁ!就労だぁ!なんて言ったって、上手くいくわけないよね。それを疑っているのだから。

 

それにしても日々こんなことばかりを書いて、「生きづらいのだから、何か爪痕を残せないか!」みたいに考えてやってきたけど、誰も読まんですよ、こんなもん。

Googleの検索の結果にさえ表示されないのだ。(一応インデックス登録はされている)

表示させるためにはもっとこう、ひきこもりの治し方とか、原因とか、支援の情報とか、そういう「検索してきた人が求める答え」を書いていかなければならないのだろう。悩みも奪い合いなんですよ。

だけど、現在進行形の自分に書けるはずはなく、書けたとしても自分とその人の人生や置かれた環境は違うし、何よりそんなこと書きたくない。

いずれにせよ何を考え、一生懸命書こうが、誰も読まず、誰にも知られず、森の中でひっそり日記を書くようなものである。

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