一人舞台

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

前向きに生きるのってつらくない?

現状をそのまま受け入れてほしい。多くの人が内心そう思うのでは?

 

今日もセミナーなわけだけど就労移行支援事業所提供で、半分説明というか宣伝というか、そんな感じで興味が持てず、奥で進められていた他の利用者さんの相談ばかり聞き耳を立てていた。

悩みは誤魔化せない。そこにその人の本心や価値観、生き方考え方が見えてくるようで関心を持たずにはいられない。何に悩み、どう考えるのか。尤も、人の悩みの相談を持ち掛けられるなんて、恐れ多いことですが。

 

やりとりを聴いていると「自分はこういうところがダメで・・・。」「いや、それは考えすぎだよ。そんなことないよ」とか「自分で悪いと思っている所を言ってほしい。長所に変えるから」なんていうやりとりが聞こえてくる。自分とて無関係ではない。

なんかこう、前向きになることを要求されているようで、つらくなりませんかね?

長所を言ってくれたり、そんなことはないと言ってもらえて元気が出る人は勿論それでいいんだけど、考えようによっては例え欠点でも、その人を形作る切っても切れない重要な構成要素であるわけだよ。人によっては生きていく上でのテーマかもしれないし、そんな位置からしか見えない視点もあるように思う。

だから、意図はわかるけど「そんなことはない」って言われるとどこか現状を否定されるような気もする。

自分も今後この前向きワールドに入って行かなければならないのだろうか?特に前向きに生きたいとは思えませんが・・・。

今のままではダメ。もっと頑張らなければ。就労を目指せ。対人関係を育め。そんな空気が感じられるような。

だけども、悩む人はそもそもそこに疲れ果てているのではないかなと想像する。自分なりに何とかやってきたし、人の意見や注意も聴いた。でも、ダメだった。どうも流れというか、空気感というか、暗黙の了解というか、なんかもう疲れたと。

そんな所に孤独や絶望を見出し、最悪の道へ行くのもどこかわかるような気がしてくる。

ああいう場所の性格上しょうがないのだけど、ただ悩みやつらさ、苦しみを淡々と語って、それをそのまま受け入れてもらえる場。そういう場所があると、解決にはならないけど、絶望することはないのではないか、セミナー中そんなことばかりを考えていた。

 

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