一人舞台

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

ひきこもりを脱出できる人と抜け出せない人の分かれ道とは

人間関係だろうか?

ひきこもった経緯は、転職先が見つからず・・・というのを除けば、ほぼほぼ人間関係に集約されるでしょう。いじめやパワハラ、仕事についていけないのだって、「怒られるのが恐怖で」とか「相談できずに」とか「相談しても・・・」と、必ず人間関係がついてまわる。

何故ひきこもり続けるのか?社会が、というより「人が、その関係性が」恐ろしいからではないだろうか。

であれば、人や社会は考えているほど恐ろしいものではないという実感が必要不可欠で、そういうものから自信と他者との関り方を身に着けていくという。それを経験させてあげられるのはやっぱり「他者」しかないと思う。

 

そんな他者に巡り合えるのかどうか・・・ここが分かれ目になるのではないか。本人に対する働きかけ、というより責め立ててなんとかなるのなら、そもそもひきこもらないでしょ。

時間が経つと恥や劣等感が加わり、社会参加が一層難しくなる。金銭的な困窮や、いつ終わるとも知れない問題から、特に家族の精神的余裕が無くなり、無理解が加速する。すると自己肯定感は更に下がり・・・と、負の連鎖でいよいよ復帰が難しくなる。

どうすればいいか?わかりません。ただ働きだすのが難しかったら、集団に参加というところから始めてみるといいかもしれない。

自分の例であれば、デイケアや各種就労支援など。直接解決には役に立たなくとも、人の流れの中にいると、状況が変わるかもしれない。

ただ、そういった活動にさえも参加するのにお金が掛かったり、そうでなくとも交通費が必要だったりで、社会復帰も金次第なんかなぁと。

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