一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

棚からぼた餅

最近、どうにかできないものか。何か活路はないものか。何か小さな事でも出来ることはないだろうか。とよく考える。

そして著者は人生とはつまるところ「棚からぼた餅」だと語る。

実は棚の上にはぼた餅はいつも乗っていて、過酷な環境に晒され、それに耐えるしかないと考えているとそれに気づかない。

 

全くもって、かつての自分のことじゃないか・・・。

 

でもそのことに気がつき、棚の下で皿を構える事はできるだろう?

それくらいの努力はしろよ。と著者は語る。

それさえもできないようなら、環境が過酷過ぎる!即刻立ち去れと。

 

一応、漢字と英語の勉強と筋トレとDirt Rallyは日々続けていまして、なんとか英語をものにして将来翻訳の仕事とかできないかなと妄想していますが、現時点では夢のまた夢です。

 

一体自分にとって、棚の下で皿を構える行為とはなんなのか・・・。

そしてぼた餅とはなんなのか・・・。

 何故棚に乗っているのか・・・。

孤独論 逃げよ、生きよ

孤独論 逃げよ、生きよ

 

 

 

 

 

冬のあいつら

すっかり寒くなってきたこの頃。惑星もどっか行っちゃって見えなくなる代わりに毎年奴らが現れます。

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オリオン座。左上の赤い星、ベテルギウスは近々寿命を迎えて爆発するとか言われていますが天文学的な時間の話で、自分は生きている間の事ではないんだろうなぁ。

しかしベランダでの天体観測はいかんともしがたい。周りが明るすぎて極一部の天体しか見えない。星雲などまず無理である。山なんかに行くとまた違うんだろうか。

 

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とりわけ光り輝くオリオン座の下の方にある恒星。多分シリウスかな。

望遠鏡で見ても光り輝く点にしか見えない。まあ、恒星というのはそういうものなのだろう。

気の遠くなるほど、自分の一生を掛けても到底たどり着けない遥か彼方にあるのに、空を見上げれば見えるというのは不思議なもんだねぇ。

なんてこった!やっちまった!!

床屋や美容院で髪を切ってもらうと何かとお金が掛かるので、いつも自分で切っている。

多少変な感じになっても、外に出られない程の失敗は今までなかった。

先ほど風呂に入る前に「ちょっと後ろのこの部分が長いかなぁ・・・」と適当に切った。

若干切り過ぎたような気がするけど、そんなに変というわけでもないか・・・いや、しかし・・・。念のためと鏡で見たらちょっと切り過ぎたみたいです・・・。

ハサミで切るのは面倒だしと、剃刀のついた櫛みたいなやつでやったのがいけなかったか!

ちょうどつむじの辺りが薄くなって、禿げっぽくなってしまった。

ギリギリ「つむじ」です!と言えなくも無いような気がするが、やっぱり外に、というか朝の混雑する電車に乗るのは抵抗がある!

つむじの辺りは何度やっても整えるのが本当に難しい。

というか人がせっかく、「あの訓練に終止符を打つために直接乗り込んでやる!」と意気込んでいた矢先に・・・!

ごめんなさい!明日は電話でその趣旨を伝えることにしますm(__)m

明日で最後にしよう

主治医にこういうグループがあるから、同じような境遇にある人達で集まって、という話を聞いた時から、きっと嫌になるだろうという予感はしていた。

目的意識も無く、自主性も無く、只々苦痛でストレスで、手を動かし足を動かし、紙に何かを書き殴っていても紛らわせず、時計を見ては、まだあと何時間ある、まだ終わらないと考え、肝心のコミュニケーションの訓練はと言うと、何も身についていないという状況を続ける事に耐えられなくなってきた。

いつ指名されるかわからない。何をしなきゃいけなくなるのかわからない。そういうことが学生時代からずっと嫌だった。

 

さしあたり有言は実行した。

初級は責任持ってやり遂げると言ってやり遂げたし、中級も最初だけでも出てみると言って出てみた。

当初は更に続けられそうだったらこちらもやり遂げてみようかとは、一応考えてはいたんだ。

苦痛であってもせめて、全部終えると修了証明みたいなのが貰え、それがあると就職で多少有利にでもなるとかがあれば、なんとか頑張ったと思うんだけど、そのような救済措置などあるはずがない。

 

自分には恐らく無理だからと言って、何もせずに決めつけたわけではない。「やってみてダメだったんだ!」と、そう納得する事にしよう。せざるを得ない。

いずれにせよ、やる、やらないの決断はキッチリつけるのが良いと思う。このままでは「出れたら出る」という不誠実な態度で残りの期間を過ごさなければならなくってしまうし、後味も悪い。そして恐らく出ない。

もう明日を最後にしようと決めてしまうと、なんだか出られそうな気がしてくる。

結局、訓練に行かなければならない。卒業した後はどうしようという悩みが、この後どうするかに変わっただけなんだなぁ・・・。

人生の損失

自分の人生においての損失って何だろう?とか考えていて、同じような当時者なら、毎日無益に?過ごしているニート期間と答えるんじゃないだろうか。

でも、違うと思う。この期間にも本やネット、本意不本意あったけどいろいろな集まりに参加して学んだり、悩んだことも多かった。(人は悩んだ時こそ、真剣に物事を考える・・・気がする)

時間がある事を活かして、ちょっと勉強を始めてみたり、体力作りと筋トレをしていたり、得る物は確かにあった。

 

じゃあ、何が損失なのか。

これまでの時間の中で、「何が自分にできて、何がそうでないのか」真剣に向き合ってこなかったことだろうか。

今まで何度か就職し、同じ数だけ敗北している。自分にいろいろ弱点があることがわかったし、そもそも勝てない相手にパンチを繰り出していても、倒せる筈などなかったのである。

良く言えば、身分相応。悪く言うと、俺より弱いやつに会いに行く!

チャレンジ精神も大事だとは思うけど、それが出来、大成していくのは極一部だろうし、自分はその器にないだろう。上を目指すよりも継続だ。

 

自分の身の丈にあった生き方、場所の見つけ方。それを考えてこなかった、相談できる人を見つけてこなかった、そういうことが今になって損失だと感じるようになった。

いろんな所へ道は繋がっていて、さもなんでもできるよな感じになっているけれど、その実極めて限定されている。なるべく選択肢を広げておくべきだった。

某所で言われているように「人の役に立つ、人から必要とされている」という実感がないと、生きる意味であったり、自己肯定感を得られないものなんだろうか。

 

何かの本で読んだんだけど、生まれながらにして、その人の資質に合った仕事に就くことが約束されている(強制される?)世界だったらいいのにと思う。

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