一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

顔を描くと、人相が変わる・・・

アタリすら満足につけられず、結局修正に修正を重ねて意味をなさなくなるのがうんざりで、いつの間にかやらなくなっていたアタリ。だけども基本中の基本である。ここから形作る土台であるのだと解説動画などを見て反省。

それはそれとして、いつも鉛筆一本で練習しているので、たまにはカラーの絵をかいてみようと奮闘。

 

絵具で描いたのがこれ。実際の写真よりも年を重ねて見えるのは何故か・・・。

そしてやっぱりアタリがうまくとれない。

 

 

 

こちらはパステルで描いたもの。

なんでしょうね。何故人相が変わってしまうのか。アタリをとって描き始めるも、目の位置が、鼻の位置が、とかやっているうちに今度は輪郭が合わなくなってきて・・・と、修正の連続。あらゆる箇所がおかしく見えるようで、わけがわからなくなる。

気が付くと一枚当たり、1時間近く経っていた。

なにかやり方が根本的に間違っているか、全く理解が足りないのだと思う。

イエス・キリストの修復画でやらかした人の気持ちがわかるわ・・・。

 

やはりアタリのつけ方、正確に読み取ることができなければ先へは進めない。

逆に位置や比率が正確に取れるようになれば、半分は攻略したも同然。いや、本当にここを乗り越えられたら描くことが楽しくなると思うのだが・・・。

 

描いている途中、「やっぱり、なんかダメだなぁ。もうやめようかなぁ・・・」という気持ちになってきたが、なんとか描き上げたから良し!実際絵を描くってこんなにも難しいことなのだろうか。

俺はもうダメかもしれないが、皆がんばれよ・・・(´;ω;`)

 

 

 

悔しかったので、更に描いてみる。

シンプルに・・・形や比率を取ることに集中するんだ・・・!

やっと少し似てきた。絵具やパステルだと特性の理解までも必要とされるから、鉛筆一本の方がやりやすい。

「簡単な形に置き換える」

絵の理解で非常に重要となる要素なんだけど、これのなんと難しいことか・・・。

 

会話とは何か?

サポステに通うようになって、そこで他者とのやり取りをする中で「会話とは何か?」そんなことを考えることが増えてきた。

通称「コミュ障」と語られるときには、悩むにしろ対策するにしろ「話し方」の視点ばかりで語られることが多いように思う。だけど自分にとっての会話テーマは「聴く力、相手の視点で考える想像力」の方がずっと重みがある。

最近親との会話で思うことがある。もっと会話に参加せよ!とよく言われる。

何故親・・・というか家族間で話をするのが嫌なのかというと、連中は話というより小言、嫌み、文句、皮肉、ああしたら、こうしたらというような独り言の延長線上をい一方的にぶつける、そんな感じのコミュニケーションをする。しかも自覚がないばかりか、言われるお前が悪いだもんなぁ・・・。

会話ではなく、自分が話したいことを、話したいときに、話したいだけ一方的に話す。

今日の例なんかでは境界知能の話を出して、知能検査の結果は言語能力が高い傾向にあって(他が低すぎて相対的に・・・かもしれないけど)、実際このブログやサポステのセミナーなんかで、説明や表現が上手いと言われたことがあるという話を出した。

何事にも自信が持てない人が、そういう前向きな視点を持つことは珍しいから、会話が広がるだろうか?との意図があったのだけど、特に拾われることはなく・・・。

大体相手の表情、声色、返事をしっかり見ていれば、それがどう受け取られたかわかるだろうに一体何を見ているのだろう?と思わずにはいられない。

こんなことを会話だと思いたくないし、誰が一方的に言葉をぶつけてくる人とやり取りをしたいと思えるのか?

本当に一体何を見ているのか?考えているのか?

会話はキャッチボールによく例えられるし、リズム感やテンポみたいなのが大事じゃないですか。その都度流れを見て、調整していくような。本当に難しいけど、奥ゆかしいことでもあると思う。

親の会話術はただ一方的にしゃべる老人のそれになりつつあるのだと思う。

取り残された32歳無職長男

食事をする時になんかは自分の意思には関係なく、弟や妹の話題が出る。

弟は結婚し東京で自立。子煩悩な姿が話題に出る。妹は好きを仕事にして、順調にいっているようだ。

取り残された32歳無職長男。これを引き受けて生きていくのは大層困難であると感じる。おかしいなぁ、途中までは全員何かしら落ちこぼれだったはずなのに。

羨望や劣等感、二人の話を聞くたびに自分が格下な気がして、自分には何の取柄も、そばにいて自分というものを教えてくれる人がいない。そういうものを痛感させられるし、こういった感情が自分の中にあることを認めることもつらいし、これはさすがに話せないだろう。

 

だから家族や兄、息子といった自分の属性が嫌で外に人間関係を作って、そこから新しい自分を築きたいのだと思う。

もし、自立し、自分なりの人間関係を構築できたら金輪際家族には会わないかもしれない。もうそこには戻りたくはないから。

ひきこもりと家族関係

家族とうまくいっているひきこもりなんているのだろうか?ちょっと想像できない。

 

若者サポートステーションのセミナーは自分にとってはそれなりに意義のあることだとは思う。自発的意思によって決めたことでもある。だけでも、安心感や肯定感とは程遠い。直接就職には繋がらないし、親にもそう指摘される。

最近「今抱えている問題は本当に就労にあるのか?」と疑問が湧いてきた。

当初セミナーに対してもあまり乗る気ではなかった。でも、そのくらいしかすぐにできることはないし、対人関係が必要だと常々考えていたからとりあえず引き受けてみようと思ったら、案外前向きに考えられた。なるべく積極的に会話に参加するようにしている。就職だって誰かに命令されて、断りづらくて嫌々・・・ではなく、自発的意思から動ければ、もちろんは不安は多いけど、なんとかなるのではないだろうか?

それを阻害しているのは、誰よりも自立を望む親のような気がしてきた。

あそこに見学に行け!ここに面接を受けろ!向こうに支援機関があるから行け!そんな指令ばかりが来て、「正直、行きたくない。とはいえ断って空気が悪くなるのは・・・」とそんなことばかりを繰り返してきた。直近の職業訓練の辞退もその一つ。

ただの一度も「あなたの本当の気持ちは?」とか「今何を思うのか?どうしたいのか?何が不安なのか?」とか、そんな話が出たことは一度としてない。

本心を隠して、顔色を窺い続けることに耐えきれなくなって、それとなく話しても、「そんなこと言ったって!」とか「じゃあ、どうするんだ!一生このままか!」とかそんな感じで、ここ最近では関わることを無意識に避けるようになってしまった。

こんな状況からどうして挫折体験と不安しかない就職に対して意欲的になれるのか・・・。

家族関係の調整は当事者同士では、第三者の介入なくしては殆ど不可能なように思う。

 

「とりあえず事情はわかった。一旦就労は置いておいて、まずはできることをしっかりと取り組んで、自信をつけていってほしい」

そんな風になったら、どれほど救われただろうかと思う。

 

近状報告 2022/04/30

誰に向けた報告やねん・・・という話なんですが、自分の気持ちの整理のためにもちょっと書いておこう。

今すぐに働きだすのが凄く不安なので、できることから・・・でもそれってなんだ?ということを若者サポートステーションに相談して、そこで行われているセミナーに参加から始めてみるとして、一か月経った。

セミナーそのものはそこまで役に立つ内容ではなくて(そもそも1時間半で何事かを会得するのも無理な話でしょう)、それよりも似た者同士集まって、発言したり、意見交換をしたりとそういう意義の方がずっと大きいと感じる。

あそこでは家族でも、息子でも、兄でも、居候でもないからずいぶん気楽で、程よい緊張感と新鮮さがある。他者とのコミュニケーションはいろいろ難しいけど、自分なりに頑張ることや考えることも多く、肯定的に捉えている。

これだけでも成長・・・とまでは言えなくとも、「前向きな姿勢」と考えたいところだけど、親にとっては「いつまでセミナーなのか・・・」だからね。

やはり働いて金を稼ぐことの前では・・・。まあ、他人と交流したところでローンや生活費は払えませんからね。

来月の予定も入れて、セミナーには全部参加する予定。正攻法では挫折する姿しか想像できないので、自分が知れ渡って、何か思わぬ道が見つかる・・・なんてことにならないだろうか?と考えているけど、そんな甘くはないか。

 

何故こんなに親を嫌い、肩身の狭い思いをしてまでひきこもり続けるのか。いっそ働く方が楽なんじゃないのか?本当に自分は社会でやっていけないのか?社会というか共同体というか、そんなに排他的で恐ろしいところ?自分の無能っぷりを恐れているのだろうか?弟や妹は何故ああもあっさり自立をやってのけるのか?

 

どこぞの書き込みで見かけた

文句を言いながらも実家から出れないのは 人は不安よりも「不満」を選んでしまうからです」

そうかもしれない。先を考えると不安・・・というかそんなこと、自分ができるとはとても思えない。

 

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