一人舞台

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

池の周りはゆったりとした時間が流れている

最近散歩コースを増やして、二か所の池を通る道をよく歩いている。

天気の良い日には老人のグループが屯って談笑していたり、釣り人が暇そうに竿を垂らしていたり、カモが水の上を漂っていたり、陸地で集団になってボーっとしていたりする。

後、亀が多い。ミシシッピアカミミガメというやつだろう。あれ、絶対誰か放流しただろう。

(やっぱり若い人はいないなぁ。平日の昼間にブラブラしているのは自分だけなのか・・・?)

なんかそんな光景を見ていると、何でこんなにも悩み続けなければならないんだと思えてくる。

自分が一生懸命悩んで何かをしたとしても、所詮やってもやらなくても世界は何も変わらない。何よりも無常が全てをかっさらってしまって、後には何も残らない・・・も同然である。

文明が発達して暮らしが豊かになった一方、それを「維持」することに苦しみ、また多くの問題も発生してきたのではないか。

ひょっとしたら、池で漂っているカモの方が実は優れた生き方なのかもしれない。

だって、連中は特に何をするでもなく、あるようにしてあって、今日まで特に問題なく?やってきてるんだもん。

 

いくら考えても、探しても、悩んでも、苦しんでも「絶対的な真理」なんて無い以上、人生なんてのは「あるようにしてある」くらいで過ごすのが丁度いいと思うんだけどなぁ・・・。

自ら望んだわけでも、決断したわけでもないのに何故あれこれ背負って生きていかねばならないのか。要求され続けなければならないのか。真に難儀なことです。

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