一人舞台

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

要求されるばかりでつらいものです

今日も例のごとく、就職支援会社へ行った。

というか、支援会社でこれを書いている。講義が早々に終わり、後は規定時間まで実習なのだ。

常々思っているのだけど、終わるの早すぎるでしょ・・・。

 

今回は「働く上での障害についての配慮」という話。

正直今でも自分が障害という扱いでいいのか、非常に悩むし、事実周りからの理解も得られているとは言い難い・・・。

特に弟からは甘え扱いになってしまっている・・・。

だって見た目は普通だし、話しても偏屈した、反抗的な考え方以外は普通なのだ。

ただちょっと仕事をやらせると、不注意の連発だとか、集中力が長続きしないとか、指示されたことを相手の要求通りに理解できないなど、支障が出るわけだ。

それにしたって、誰にだって言えることでしょう。

 

確かに魔がさして、いい加減な気持ちで仕事に取り組んだこともあった。

その後発覚して大目玉を食らって反省し、真面目にやろうと仕事に臨んでも、どうにもできないことも少なくなかった。

前回「ここ」がダメだったから、気を付けてやろう!そこさえ上手くこなせれば何も問題はないはずだ!といって「そこ」に集中していると、今まで全く問題が無かった部分で、あり得ないミスをしてしまうという感じ。

前職の信用を失っていく過程はそれはもう酷いものでした。

自転車屋で働いていた時も、どうして何度言ってもお客の気持ちがわからないのか!考えようとしないのか!自己中なんじゃないのか!と怒られました。つらいものです。

今となってはどこからが自分の気持ちの問題で、どこまでが自分ではどうにもできないことなのか、わからなくなってきた。

 

最近一人で歩いていると、気が付くとこの世界に生まれていて、どんなに人生が上手くいったって、或いはどれだけ悲惨な末路を辿ろうが、結局死んで終わってしまう。ここだけ皆平等だ。

やがては自分の事を誰も知らない、存在した痕跡さえなくなる時がいつか必ずくる。

死んだ瞬間、世界は無くなるも同然じゃないか。

そんなことを考えていると、その場に座り込みたくなるくらい、虚しいような腹立たしいような、絶望感を覚える。

それを踏まえて一体何をしていけばいいというのだろうか・・・。

 

自分に何か価値を生み出せる才能か何かがあって、世間を半分だけ離れてアウトローな生き方ができればいいのにと夢を見る。

見ると届く気がして、余計に悲しくなってくる。

 

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