一人舞台

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

例のアレが完成

前回この段階で心が折れかけるも

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「上手くなりたきゃ、つべこべ言わずに描け!」と考えを改め、なんとか完成。

まあ、こんなもんやろ・・・。

端に描いてしまってキチキチで、一部の葉っぱが描けなくなってしまった。

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色や立体感など、お手本と比べると全然違って、どう描けばああなるのか不思議で仕方がない。

尤もちょろっと描いただけであれが真似できるなどと、そもそも過ぎた考えだったのだ。落胆することぁない。

 

ここで描けないこと。下手な絵を無理やりポジティブに考えてみる。

巷には色鉛筆の教則本を探すと「超リアルに描ける系」が溢れかえっている。

たしかに凄い。自分には真似できない。しかし・・・しかしね、写真と見まごう程に綺麗に描けるのなら、「もう写真でええやん・・・」と思いませんか。

写真と同じなら、誰が描いても同じ絵になる。凄いのは「色鉛筆でここまで描けるのか!?」という部分であり、「絵そのもの」に興味や感動を覚えたか?と聞かれると怪しいものである。

自分の様に描いている内にいつの間にか形が変わったり、人相が変わったり、変な色になったり、消し過ぎて紙が破れるのはプロには(プライド的にも)到底真似はできないであろう!

真剣にやって、望まずにこうなるのだから、ある意味個性なはず。

だから下手な絵でもそれが一生懸命なら、「味」があるものですよ。

「ああ、ここは難しくて力尽きたんだな」とか「こっちは頑張って描いたんだな。拘りが感じられる」とか「これは一体何を描いたのだろうか・・・?」とかね。「見どころ」がある

 

世の中にはいろんな本や情報が溢れていますが、それを見たり買ったりしても描けるようになったでしょうか?ならないですよね?

結局は描き続ける中で、何かを掴んでいくしかない。「今の所はこの程度」と納得して、恐れず、落胆せずにいきましょう。

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