一人舞台

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

雑文

一日の労働時間が5時間くらいになればいいのにと思う事がある。

確かにそれ自体はすぐにでも実現可能ではあるけれど、生活していくのは難しいでしょう。

いつからだろう、自分の中の時間の感覚では、世の中の時間の感覚についていけないと感じるようになったのは。

いろいろ便利になったのはいいけど、それ故に要求されるスキルや負担も大きく増しているような気がする。

得るものがあれば必ず失うものがあるということなのか。

そういう世の中だから、忙しく苦しいのか、本当のところ自分が便利さに甘えて、好き好んで窮屈な生活をしているのかどっちなんだろうか。

 

 

 

一旦仕事を辞め、今は罪悪感や将来への不安を抱えつつも、のんびり過ごせる時間が凄く貴重なものに感じる。今の内だけかもしれないが。

「アレをやらなきゃヤバい!」とか「時間を無駄にしてはいけない」みたいな空気で溢れているけれど、人生の内本当にやらなきゃいけない事ってそんなにないんじゃないかな。

一々やること成すこと価値やら意味やら求めがちだけど、自分にとって必要な事って大抵些細な、くだらない事じゃないですか。

でも、自身にとってはとても貴重というね。

そういう自分の中の価値基準こそをしっかり認識しておかないと、途端に人生が辛くつまらないものになってしまうような気がする。

 

 

 

毎年恒例の24時間テレビ。今回も障がい者についてあれこれ議論されていますね。

水を差すようで書くのに抵抗を感じつつも、しかし気になってしまう。

テレビ番組で障がい者の方を取り上げる時、多くは親に「あれをやれ」「これをやれ」と言われて、一生懸命努力しました。おかげで今はこんなに出来るようになりました。親には本当に感謝しています。という話がセットになっているじゃないですか。

必要な事ではあるでしょうし、ハンデを背負いつつ、器用にこなしている姿を見ると凄いなぁ。良かったなぁと思います。

自分の身にしてみれば、彼らのように「本気」で自分やその人生を変える為に何かに打ち込んだ事って無いですからね。

だけど、結果があるから。両者の考えが一致したから上手くいきましたが、親から課せられる事が嫌になったり、それによって軋轢が生じたりする事もあるのだろうか。

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