先日、障がい者就業・生活支援センターの担当職員とハローワークに行ってきたときに、ある現実を突きつけられた。
最後に仕事を辞めてから8年経つのですね?
え!?そんなに経つの!?と我ながら耳を疑った・・・。ひきこもっていると時間の感覚が狂うのだろうか。
しかし、この間何か問題があったろうか?漠然とした不安と、家族からの冷ややかな視線くらいではないか。某精神科医が仰るように「働かなければならない理由はない」確かにそんな風に思う。
生きることに必要なのは、食べること、飲むこと、暖をとること、拠点程度じゃないですか。現代社会はそれら全てを他人によって代替している。生きることをやめて、金を稼いで手に入れていく。そうも言えるのではなかろうか。
自分が働かない、社会に貢献しないことで、日本に人類に何か損失があったろうか?無いでしょ。人生に真理や意味がないのと同様、働く絶対的な理由もまたないのではないかと思う。
とはいえ、じゃあ何の問題も無いのならこのままでいいじゃんとはさすがにいかないので、先日貰った求人票から本日職場見学を申し込んでみた。来月の9日である。
無職は無条件に厄介者、悪人扱いを受けるので精神的に良くない!
去年あたりに単純作業の仕事を暗に批判するようなことを書いてしまったが、当時も今も自分としては単純作業の仕事をしたいと考えている。どうも頭を使うような高度なことは出来なさそうだから。
単純作業は単純であるが故に誰でも代替可能で、ある日突然職を失うのでは?よって高度な仕事を選ばなければ・・・と、プライドというか、焦りや不安があったから、あのようなことを書いた。でもそれで特に問題がないのであれば、全然単純作業でいいわけである。社会的地位より、要するに食うに困ることになりはしないか?困った時に立ち上がれるか?自己責任とかいって批判されるのではないか?というのが恐怖なのである。
去年の面接に引き続き、今回はプラスチック容器の洗浄という単純作業の職場の見学に行くことに決めたし、やっていけそうなら応募まで考えている。
人生そんなに悪いことばかりは続かないことを祈りたい。
ひきこもりの脱出の難しさの一つには、ひきこもっていても何とかなってしまうことにあるように思う。