一人舞台

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

自我の乏しい受動的な人間は、生きづらい

昨日は久々にデイケアに参加。ニケ月ぶりで、しばらく学校を休んでいたのを久しぶりに登校するような、妙な緊張感とためらいがあって迷ったのだけど、せっかく貰った休みなので参加することに。

以前から思ってきたことだけど、デイケアなり、就労支援なり、何らかの集まりなり、「受動的な人間だと、いるだけでもつらくない?」ということだ。

新しい人が何人か参加し始めたようで、何となく会話してたり、情けない話だけど、自分にはそういう積極的なことはどうも・・・。

来ても何をしていいのかわからない。この空間、この時間を使って何が出来るのかわからない。自我が無い!

やっぱり自分には何もできないなぁ。というのを再確認するようでつらい。

 

対して仕事だとどうだろう。自分がどんな状態にあろうとも、仕事はいつだってある。役割がある。成果も見えやすいかもしれない。周りが用意してくれるやる事リストを淡々と消化していれば良いのだ。はい!わかりました!ありがとうございます!すみません!お願いします!終わりました!手が空きました!が言えればもう合格!自我の乏しい受動的人間にとって、これ程楽なことがあるだろうか?(とは言え体力的にはきつい。週4日がいい)

世の男性が周りを顧みずに仕事!仕事!と邁進するのもわかろうものである(さすがに古いかな)

 

しかしこの状態に甘んじていると、仕事以外にすることが無くなって、定年を迎えてお役目御免になった途端、もう何をしていいかわからず、呆けるしか道はないかもしれない。

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