パチンコ依存症の記事やコメントを見ていると、それに苦しんだ、苦しんでいる人が結構多いことに気が付く。
きっと誰もが順風満帆な、問題の無い、人から必要とされる、幸せな人生を望むんだと思う。
だけど幸か不幸か、そういう風にはなっていない。
決して笑うつもりはなく、自分も明らかに躓いているし、これからも躓き続けるだろう側なので、上手くいっている人よりは上手くいっていない人の話の方に関心が行く。
望んで躓いたわけでもないからこそ、その人の話には人生の妙味と言いましょうか「人生って本当にそんな感じだよなぁ、上手くいかないよなぁ、理不尽に翻弄されるよなぁ」としみじみ思うのです。
あくまで「個人の主観」ですが、上手くいっっている人からはそんな「味」のある話はあんまり出てこないのではないだろうか。(本人は無自覚だろうが)自慢話しか、誇る話しか聞いたことが無い。
他人に認められたい。価値ある人間だと思われたい。有能でありたい。人の縁に恵まれたい。裕福でありたい。
欲望に際限はありませんし、実現できる人も限られる。
世の中表に出るのは成功している人か、どん底から這い上がった人の話が殆どじゃないですか。まあ、誰がついに成功しなかった、這い上がれなかった人の話なんて聞きたいのかって話なんですが、だから望みつつ、ついに実現できなかった人の話は独自の「味」が出るというか、惹かれます。
依存症というは満たされない心の埋め合わせみたいなもんですかね。
他にも人生上手くいかず、ちょっとした鬱状態と言いましょうか、怠くて気力が出ないというのは多くの人が経験あると思うのですが、現代だとそれをSNSとかで書き込むわけですよ。
すると「『本当』の鬱、無気力状態は、それさえできないんだけどな」と、悪者扱い・・・は言い過ぎでしょうが、チクッと指す人はどこにでもいるじゃないですか。
でも、本当かそうでないのかは問題ではなく「程度」だと思うんですよね。
あらゆることが出来ない重度の人もいるでしょうし、比較的軽度で、「このままではいけないのはわかっているんだけど・・・」と、ちょっと他人に気にかけてもらいたい人だっているでしょう。嘘は言ってないでしょうと。苦言を呈する人の美学には反するのでしょうが、それってそんないかんことなんでしょうかね。
ちょっと吐き出して、気持ちが楽になることもあるでしょうに。