改めて働き始めて、当初悲観しつつも仕事にもそこそこ慣れてきて、今まで悩んでいたことは本当に「仕事のこと」だったのだろうか?という思いが湧いてくる。
極端な話、仕事や働き方のことであれば、いくらでも調節できるわけだ。短くても簡単でも「働いているから良し!」と。前にも書いたけど、それを自己受容して、周りからも受け入れてもらえたら大層安心して働けると思う。いつの間にかもうちょっと上を目指していけるかもしれない。そう思えないことが、許されないことが問題なのではないかと。
この安心感?心理的安全性?を獲得なり、見つけるなりすることが、今後の分かれ道になるような。
家の事情が少々特殊だし、親の庇護の元、週4日労働でいきたいなんていっていると、あーだこーだ言われてしまうので一人暮らしをしたいと考えているのだけど、週4日労働で実行するには、あまりに無謀だろうか。
ともかく、自分の例で言うと社長からの「なんだかんだ言ってもできるでしょ?もうちょっと働こうよ!」といった期待。親や外野からの「皆つらくても苦しくても頑張っているんだよ」とか「若い者がつらいだとか苦しいとか言ってんじゃない!頑張ってよ!」とか、「そんなんでつらかったら、自分はどうなるんだ!」とか、こういう価値観こそ、自分を縛り付ける鎖なのではないかと思う。
ひきこもりの解決は就労だ!
その人の能力の問題を真剣に見ない、考えない。できるできないの差は、マラソンについていけない人はどうしたって出てきてしまう。だから何度でも挫折する。
こういう会社が増えてくれれば、多くの人が救われると思うのだけどねぇ・・・。