一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

一番嫌なのは

自分自身かもしれない。

 

 

 

前々から書いてきた件の体調不良で休みがちな同期の人。その衝撃な事実が明らかになった。

月に10日程度しか来ないので、実家暮らしで生活の面では困っていないと思っていたのが、実は一人暮らしで会社に来る交通費にも困っているとのこと。

いろんな物を売って繋いできたが、それでも厳しいようなので金を貸してくれんか・・・?と相談された。なんか適応障害とかあるんじゃなかろうか・・・。

まあ、いいよ。俺だっていろんな人の助けをもらって、今こうしているのだから。と、手持ちの6500円を渡しておいた。15日の給料日まではもつだろう。しらんけど。金を貸すときには、あげてしまうくらいの気持ちでいた方がいい。

それだけだと解決にならないので、自分が利用している就労支援なり、生活支援なりの資料を渡して、そこに相談に行くようにも伝えた。

支援を頼ったところで魔法のように解決してくれるわけではなく、厳しい状態は続くだろうけど、何も無いよりは断然いい。一人で抱え込んで困窮していくなんて、あんまりでしょう。最悪生活保護にも繋いでくれるかもしれないし。

 

仕事の方は配置転換があった。6月末に膝の手術で療養していた人が、昨日戻ってきたので自分は別の場所に・・・ということ。

それはいいのだけど、新しい仕事である部品の検査はいきなり全ての部品を覚えきれるわけもなく、ほんの一部の担当。その間は以前の塗装前の部品をハンガーに掛ける作業なんだけど、居場所が無ぇ・・・。

それもそのはず、元々前述の人がこの場所の担当の一人で、療養中自分が代わりにという話だったのだ。基本的に4人分のスペースしかないので、自分の場所が無く、どこか邪魔にならない所は・・・と隅っこの方で作業をしていた。切ねぇ・・・。

そしてそもそもの話が、今回の会社は二人の募集で、それは先に入った同期の人二人で埋まっていたのである。そこへ見学は可能ですか?と連絡を入れて、急遽採用が決まったのが自分である。自分は元々予定外なのである。

なんか今日一日改めて観察してみると、皆各々決まった作業がある。持ち場がある。

でも自分はそれを失ってしまって、浮いているような・・・。明確な担当業務が無いから、人手が足りない場所で仕事をする「隙間を埋める人」みたいになっているような・・・。恐らく検査業務が身に着けば、そこが持ち場になるだろうか。今が所謂「耐え時」なんだろうか。

 

親や就労支援の職員や昔職業訓練で出会った人など、自分はこつこつと取り組む職人のような仕事が向いているのでは?とはよく言われること。

確かに毎日作業内容に大きな変化が無く、同じ仕事を安定して担当でき、そのことによって技術が上がっていくようなものが理想的ではある。良いねぇ。できるなら。

でも、誰がそんなものに繋いでくれるのだろうか?自分の判断や決断は本当にアテにならない。今回だってそうではないのか。何の根拠を元に今の仕事を蹴って、職人の仕事を目指せばいいのか?

就労支援といったって、仕事探しはハローワークに行って、求人票を何枚か渡されて、この中から選んでください、じゃない。就労支援は就労支援なのね。

それにできなかったら悲惨である。今のように誰でもできるごく簡単な単純作業であれば、例え仕事が苦痛であっても、日々の業務をこなせる能力があれば一応成立する。体力面や精神的な面を置いておくと、これができないということはないだろう。

一方技術がものを言うであろう職人気質な仕事だと、仕事についていけないと話にならないし、続けていくことも無理だろう。そんな覚悟と意欲があるのか怪しいものだ。

自分の仕事はこっからここまで。それを週4日の6時間という負担の少ない働き方。それでそこにいて仕事をする自分を認めてもらえる、良いねぇそういうの。

 

 

 

自分に価値があるだなんて思わない方がいいのだろう。

仕事の問題?いや、問題は遥かに自分自身であり、自分と上手くやれていないのかもしれない。

 

 

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