一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

相当努力しなければ、居場所は作れないし、必要な人にもなれない

8年間ひきこもって、社会に出るというか、働くことに消極的だった人間が4度目の再就職を果たした。

「大なり小なり自信もついたでしょ?」とは、親や弟、支援員から言われること。

自信なんかつかんですわ・・・。本当につかない。

できない自分。働くことが苦しく、思い悩んでばかりな現実しか見えてこないし、教えてもらえない。やっぱり皆と同じようには働けない。そればかりか、今は週4日の勤務で、同じ土俵にさえいない。

先日仕事を教えてもらっている2つ3つ年上?の先輩に「勤続何年くらいですか?」と聞いたら「10年程」と。これこそ自分が一番できないことだろう。社長の話では殆どの従業員がそんな感じらしい。資質の違いを見せつけられるようで、とても切なくなった。

「耐えたり、踏ん張りが肝心だよ」ともよく言われる。そうっちゃそうなんだけど、でもそれって「何に対して」なのか?

仕事がつまらない。やりがいが感じられない。もちろん面白く、やりがいがあるに越したことはないけど、話がそんな程度なら耐えられるだろう。人間関係も程度によってはまあなんとか。だけども体力的、精神的な疲弊の面に関してはそうもいかない。

今の状況はマラソンみたいなもの。3日の休日を求めて4日走り続ける。なんとか乗り切ったら、次の休憩所を目指してまた走り続けるのだ。こんな状況をいつまで走り続けられるか・・・。

体育の授業を思い出してほしい。校庭のトラックを何周もできる人もいれば、5週ならいける人。2週でもきつい人。スポーツが得意な人、不器用な人。興味や熱意の有無。本当にバラつきがあるものだし、それはしょうがないことになっている。

だけども何故仕事になるとそれが許されないのか。みんな一緒でなければならないのか。そりゃあ、運営の面から言うと、その方が断然効率がいいのだけど、同時に生きづらさや絶望も生むだろう。

同じようなことを同じ時間やっているのに、なぜ差が出るのだろう。他の人はどう感じているのだろう?自分と比べて重いのか軽いのか。

 

自分が唯一意欲的に仕事に取り組めたのは、自転車屋のアルバイト時代にやっていた「自転車の修理、点検業務」だった。

時々聞くのよ。前の仕事ができなくて、つらくて仕方がなかったけど、今の仕事に巡り合えて上手く動けるようになった。人生って楽しいのか!って気が付いたって。

自分の力ではそんな場所に巡り合うのは無理そうなので、誰かが導いてはくれぬものかと、そんな幻想に縋ってばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

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